【インタビュー】メディア美学者 武邑光裕氏~プライバシーの観点から見た官民連携で進めるDXのあるべき姿とは
2021年9月1日に創設されたデジタル庁は、ライフイベントに関わるさまざまな手続き(子育て、介護、引越し、死亡・相続等)のオンライン化・ワンストップ化に取り組み、行政だけでなく民間手続きも含めたDXを推進しています。
これらのプロジェクトの実現にあたり、どのような課題が考えられるのでしょうか。
ドイツ・ベルリンを拠点に、ヨーロッパにおける数々のプロジェクトを見つめてきたメディア美学者の武邑光裕氏に、日本の官民連携による取組みが抱える課題と目指すべき姿について伺いました。
官民連携の取組みは文化の相互理解と新たな価値観の導入が要に
「木と蜂」で考える官民連携
(日本の場合は)国や行政が旗振りをしても、それにちゃんと現実が付いてくるのかという懸念があります。
私が拠点を置くドイツをはじめとしたヨーロッパでは、官と民の関係を「木と蜂」に例えて表すことがあります。
「木」は機動力や創造性には欠けるけれど、太い根を張り、幅広いネットワークと資金力、それから立法権限を持つ「政府」「行政組織」などを意味します。
「蜂」はフットワークが軽く創造性豊かで、イノベーションに向けて創発的に連携できる個人やスタートアップといった「民」を意味します。
つまり「木と蜂」とは、互いを必要とし、相互作用によって豊かな社会を形成していこうという考え方です。
20年ほど前はヨーロッパも官と民は対立的な関係にありました。しかしここ20年で、互いが互いを必要とする意識が醸成され、双方が制度上などの壁を取り払って相互理解に努めてきた結果、都市や国の発展には「木と蜂」のような「官と民」の連携が必要であり、それに向けて努力すべきだという考え方が現在ではスタンダードになっています。
行政は民間企業の文化に歩み寄りを
一方、日本はいまだに官と民の文化や考え方が大きく乖離していると感じています。
服装ひとつをとっても、スーツとネクタイの文化が根付いている行政と、自由なライフスタイルを特徴とするスタートアップとではあまりにも文化が異なります。ですから日本が官民連携でDXを推進するには、もっと本質的、根本的に官と民が互いの文化の違いを理解し、尊重し合う努力が必要です。
その際、どちらかといえば行政側が民間側の文化に柔軟に合わせていく配慮が必要でしょうね。その溝を埋める努力をしないまま旗を振っても、市井の反応は薄いままでしょう。
また官と民の溝を埋めるためには、世代交代も選択肢のひとつです。例えばドイツの文化メディア担当国務大臣は、元々(政治畑の人ではなく)アーティストのそばで広報などの仕事をしていた人です。このようにドイツではユニークな出自を持った人物が大臣を務めていて、行政の中でも世代交代が起きています。
日本においてもこうした新たな価値観を持つ人が行政の中に入ってくることが、非常に重要だと思います。
日本とヨーロッパにおけるプライバシーの捉え方の違いに見る課題点
日本とヨーロッパの文化や考え方は、プライバシーという点でも大きく異なります。
いい意味で言えば、日本はプライバシーをさほど問題視していない国です。例えば日本ではよく見かける街中の防犯カメラや、ストリートビューを作成するための全方位カメラを搭載した車の通行などは、ドイツにおいては旧東ドイツ時代の秘密警察である「シュタージ」が監視目的で日常的に行ってきた盗撮や盗聴などを想起させるため、市民は非常に強い拒否反応を示します。
GDPRに現れる日欧のプライバシー観の相違とは
EUには「GDPR」(General Data Protection Regulation、一般データ保護規則。2018年5月25日からEUで施行されているプライバシーを保護する法律)がありますが、これは日本に暮らす人々から見れば非常に厳しいものに映ることでしょう。
例えば以前日本でタクシーに乗った時、目の前に広告用の車載タブレットが設置されていたのですが、そのタブレットに搭載されたカメラが乗客の顔を読み取り、AIが性別や年齢を判定し、広告の表示内容を変更していたことがありました。これはGDPRが施行されているEUではご法度です。
また最近では上司が部下のパソコンの稼働状況を遠隔監視することで、従業員の働くモチベーション向上を促すシステムがありますが、これもEUでは絶対に受け入れられません。それはたとえ従業員が同意したとしても、世論は大きな権力を持つ会社組織がそれを強要したと解釈するからです。
さらに言えば監視カメラに対して日本ほど野放図な国はないでしょう。それによって犯罪の検挙率が高いことは事実ですが、効果だけが先行してしまい、監視カメラの設置に関する法制度はまったくと言っていいほど整っていません。
ドイツの場合は人が通るところに監視カメラを設置するためには届け出が必要です。また「ここで録画を行っています」と看板などで明示する義務があります。さらに利用に関しても警察などによるチェックだけに限られ、一般の人々が映っているデータはすべて消去しなければなりません。
このようにプライバシーに関する捉え方がヨーロッパと日本では違うのです。今のようにプライバシーに関する責任の所在や利用方法など不明瞭な部分を明確にしないまま行政手続きという個人情報を扱う分野のDXを進めても、プライバシーフレンドリーな施策になるとは言えないでしょう。
「プライバシーは個人の権利」という考え方を
現実とインターネットのはざまで起こるプライバシー・パラドックス
ヨーロッパは「市民社会」という言葉で表されることがありますが、「市民社会」になる前に「個人」になる戦いがありました。しかし日本の場合、そもそも「個人」というものが成立していないように思います。
この「個人が成立しているヨーロッパの市民」と「個人が明瞭ではない日本の市民」という違いは、プライバシーに対する捉え方にも出ているように感じますね。
日本の場合は、インターネット上のプライバシーについて、あまり深く考えていないように思います。例えば無料のアプリを使いたいがために、サービス利用規約をよく読みもせずに承認してしまうことはないでしょうか。これがリアルだと、夜道を歩いていて誰かが家の前まで後をつけてきたとしたら相当に強い恐怖を感じることでしょう。
つまり私たちがリアルな世界の中で持つプライバシー観や危機意識が、インターネットの世界ではまだ成熟していないパラドックスの状態にあります。
これがヨーロッパの場合だと、プライバシーの権利は個人にあり、どう企業に提供するかは完全に個人の自由です。さらにスマートフォンやパソコンを使う上では、送受信するプライバシーデータを自分でマネジメントすることができ、自分にとって必要なデータと不必要なデータを精査できる仕組みがプライバシーミドルウェアというかたちで提供されています。こうした技術文化は日本もどんどん採り入れていくべきだと思います。
プライバシーに関する一人ひとりの意識向上が社会の発展につながる
ヨーロッパでは毎日のように新聞やTVニュースなどでプライバシーに関連したニュースが報道されているのに対し、日本ではそういったニュースをほとんど見かけません。メディア側がデータプライバシーを扱う企業に過剰に忖度し、できるだけそれに触れないような風潮さえ感じるときがあります。
市民が生み出すデータプライバシーと積極的に向き合い、公衆衛生や予防医学、そして都市経営における公益性にデータを活用していく文化を醸成していくためには、官民ともに能動的なプライバシーの活用やリスクなどの情報を公開し、プライバシーについてもっと突き詰めて考える文化が必要でしょう。
その上で「この個人データは公益性が高そうなので提供しよう」「他の人の命を救うために役立つのなら自分のメディカルデータも提供していこう」といったように、公益性(コモンズ)をベースに「個人」の権利として、積極的にプライバシーを扱っていく考えを持つことが、真の意味での社会や国の発展につながっていくのではないでしょうか。
メディア美学者。日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。1980年代よりメディア論を講じ、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。著書『記憶のゆくたてーデジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)、『さよならインターネット ―GDPRはネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社)、『ベルリン・都市・未来』(太田出版)、『プライバシー・パラドックス』(黒鳥社)など。
システムエンジニアとして設計・開発業務に携わった後、テクニカルライターとしてIT系の記事執筆を開始。豊富な取材経験を活かし、近年は経営者や研究者などのキーパーソンインタビュー記事を数多く手がける。
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